日本最古のフィンランドサウナをご存じだろうか。
寛政4年(1792年)の冬、北海道根室市でロシア最初の遣日使節アダム・ラクスマン一行らによって造られたのが最古と言われている。
根室でのラクスマンたちの暮らし
根室での8カ月間は、ロシアと日本と情報交換の場でもありました。日本側では、日本で最初のロシア語辞典を作成したり、エカテリーナ号の模型を作ったり、ロシアの地図を写し地名を聞き取ったりしました。ラクスマンらも、日本の地図を写し、植物・鉱物を採集し標本にしたり、根室港周辺を測量したり、アイヌの人々と日本商人らの関係を聞き取ったりしました。
また、蒸し風呂を造ったり、結氷した根室港でスケートをしたりしました(これは日本で最初のスケートでした)。根室は、ロシア語研究の最初の地であり、ロシアの地理などの知識を受け入れた最初の場所でもあったのです。
出典:根室市公式サイト「ラクスマンの根室来航」
アダム・ラクスマンの父、キリル・ラクスマンは当時、スウェーデン領だったフィンランドのサヴォンリンナ出身であり、アダム・ラクスマンはフィンランド系ロシア人であった。
2022年元旦に納沙布岬で初日の出を拝んだ後、日本最古のフィンランドサウナが建てられたであろう場所に行ってみた。
辺りは岸壁に整備され、潮風が吹き荒れていた。
ヘルシンキの「Löyly」から眺める荒々しいバルト海を思い出す。
当時、本島から200mほどの弁天島の内側にロシア船を係留し、冬には海が凍り、小屋と船を徒歩で行き来していたという。
港からほど近いときわ台公園には、ラクスマン来航モニュメントがある。
この背景には壮絶な漂流と、帰国までの長い年月を要した波乱に満ちた物語がある。
市販の書籍にはサウナの描写は殆どないが、根室での様子は描かれている。
大黒屋光太夫の決してあきらめない精神力、
そして、光太夫の帰国のため全力を尽くし、実現させたラクスマン父子に敬服します。
根室市には北方領土という問題がある。
ここ最近では、北方四島とのビザなし交流はロシアのウクライナ侵攻により実現できていない。
ビザなし交流が再会したら、日本最古のフィンランドサウナの地、ロシアの文化であるバーニャ、サウナと言う「共通言語」で交流し、それが何か良い関係をつくるきっかけになればと考え、何か力になりたいと切に思う。
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